Twitterにまとめた記録を残しておく.注釈とリンクを加えておいた.
アイデアはいくつかある.
- 最も簡単な案はポジションペーパー(HAI研究に関係しそうな分野,関連研究の図式化と自分の研究の位置づけ,など)を共有して議論するような機会を設けること.これだけでも随分違うだろう.
- 少し手の込んだ方法を考えれば,実際にタスク(○○のためのエージェントを設計・評価する)と役割分担(コンセプトを考える,プロトタイプを作る,評価の方法を考える)の方法を決めて,グループで作業する手法も可能だろう.これは以前国際会議のワークショップで体験した方法をほぼ踏襲したものだが.
いずれにせよ,パネル中心にするよりこういう方法を考えて欲しい.
HCI分野ならHCIがトップジャーナル.HAI本では「HAIはHCIと異なる分野だから」と断っているが,HCIに限らずアウェイで,厳しい場で結果を出して欲しい.それでこそHAIという研究テーマのプレゼンスが上がるのだが.
なにせ思い入れがあり過ぎる.個人的に心の中にしまっておきたい思い出もあるのだが,それを差し引いてもまだ思い出し足りないことがあるくらいだ.20代以降の自分の人生のほとんどに影響されているから.
身内が亡くなっても全然死の実感が湧かないほど感性が鈍いので,まだどこかで生きているのではないかと思えてくる.
普段の自分の行いが悪かったからこんな結果になったのか.これから真面目に働くから時間は戻らないのか.そんな子供じみたことまで考えてしまう.
最初に曲を聴いたのは,Child's Viewのsableのリミックスだった.面白いリミックスをやっているとは思ったが,この時はまだ名前をはっきり記憶していなかった.確か1998年だったはず.
その後,初めてCDを手に取ったのは,去年閉店した渋谷HMV.セカンドのOpa*qだった.1999年の年明けから少し過ぎた頃だった.そのChild's Viewこと竹村延和氏の帯コメントと,ジャケットの雰囲気でなんとなく買った記憶がある.じわじわと気に入ったような感じだった.音楽がわかる友人に引くほど勧めまくったのも記憶している.
そこから音源は貪欲に集めまくった.joy for joy epだけ手に入れられていないのが惜しい.いまでこそメディアが充実したしlust以降有名になったので情報の仕入れには苦労しなくなったが,red curb〜lustの頃は情報を手に入れるにも2chのスレッドを追いかけても漏れが出るほど苦労した.自分で作ったシステムでrei harakami onlineというblogを立ち上げて 情報をまとめてくださった方がいて,本人がblogで情報発信する頃までは大変重宝した.ちなみにrei harakami onlineは頭文字をとるとrho.unrestの曲名と掛けているのだろう.自前システムでテーマを決めて情報発信するというスタイルを貫いたこの方は,私が内心尊敬するブロガーの1人でもある.
最初にライヴを見たのは,2000年の暮れに新宿時代のリキッドルームだった.この時はその後名物になるMCは一切していなかったが,その代わり登場の際に「おもいッきりテレビ」の「きょうは何の日」のジングルを唐突にかけていた.作風からやたらストイックなイメージを持っている人が多いと思うが,昔からふざけたい人だったのだ.このライヴで初めて聴いた,フロアに似つかわしくない,重く空間に響く低音が強く印象に残る曲が忘れられなかった.後にred curbに収録されるcapeだった.red curbは院試〜大学院の一番辛い時期に何度も何度も聴いた.wrestはとにかく何より好き過ぎる曲だった.ライヴでは滅多に披露されなかったが,「みんな知らないような曲をやったのですが」とか「今日は珍しい曲を……」とかMCでいつももったいぶっていた.あれほどの名曲はないのに.堂々とやればよかったのに,といつも思っていた.ただでさえ素直な四つ打ちの曲がred curbの中にはなく,中でも特にリズムが異様に変則的でよくこんな曲をフロアでかけるな,というような曲ではあるのだが,それゆえの強い魅力のある曲でもある.
その後,お金がなかった一時期を除けば,東京近郊のライヴにはほとんど出向いていた.逗子の音霊で2度目のライヴ(クラムボンとの対バン)だった時はチケットが買えなかったが外から聴いていた.1度行った際に音が外にダダ漏れなのを知っていた.1度目に行った頃はステージ上から客を映してblogに載せる,といったこともしていたのであった.海を見ながら聴いていた様子を知らない人に後ろから撮られてその人のblogに晒されたていた.クラムボン目当てで来ていた客と一緒にクラムボン聴きつつ海辺でビーチボールで遊んでいて,海にiPod miniを落としてなくすところだった.
一時期だけライヴでいろいろあって聴くのがつらい時期があった.結局3ヶ月程度でまた聴き出したが,その間音楽自体聴かなかったし,red curbが出て以降数年はほかの音楽を聴いた記憶がほとんどない.ベタな話をすれば,こんなに飽きっぽい,続かない,根性のない私が10年以上もファンを続けているアーティストはもちろんほかにいない.ブランクを乗り越えてまで聴き続けているのは,それだけ心の支えだったのだと思う.
あのMCを始めたのはいつだったか,はっきりとした記憶はない.最初は単にたどたどしくしゃべるだけだったと思う.しゃべりがこなれてきたのは,共演者と一緒にステージに上がるようになってからだと思う.
以前はステージ上で眼鏡をかけることはなかったが,ここ1年くらいはかけるようになっていた.眼鏡を外したままMC用のマイクスタンドを遠ざけてVS-2000をいじった後でまたしゃべろうとしてマイクを取ろうとしてあたふたする,という一連の動きもいまとなっては懐かしく思い出される.
映画「アナライフ」の音楽を担当――といってもオープニングテーマ以外は監督の意向で既発表曲がそのまま使われていたのだが――して映画公開の際に監督とともにトークショーを開いたこともあった.ちょうどlustのリリース直前の頃で,アルバムの宣伝をしたいのだがうっかり「ラスト」と口頭だけで言ってしまうと「え,これがラスト(last)アルバム?」と誤解されるのを避けてかアルバムタイトルは口にしなかったのであった.結局,オリジナルアルバムとしては本当にlastになってしまったのだが.
出張で遠くに行くたび,この風景には絶対に合うはず,と思うと必ずiPodで再生していた.ライヴでrobeと一緒に流れたdumb typeの映像で,壮大な橋と水辺の様子が気になって調べて大阪の新木津川大橋とわかった時は,わざわざ住之江の方まで出向いて橋のたもとに佇んでiPodでrobeを再生したりもした.
ライヴに行くたびに「御多織る」「御手富貴」があれば買っていた.同じデザインだろうが気にせず,ライヴの記念として買っていた.「あさげ」「ゆうげ」の中身に出てくる別デザインのものは手に入れられなかったが.何本も同じデザインのものは持っているが,もったいなくて中身が開けられない.いまとなってはなおのこと開けられない.
今日の東京は雨が降っている.うっかり涙雨と言いそうなものだが,こういう形の別れに涙は似合わない.雨で思い出すのは,2009年の川口のトークライヴだった.あの日はひどい雷雨で,電車が遅れに遅れてスタートが1時間押しだった.当日チケットの抽選に外れたが,早めに行って席があれば入れるかも,とのことだったので早めに行って席を確保したのであった.ここで初めて本人と話すことができた.「使い倒して初めて見えてくるものがある」という話だった.私の本業の研究はHCIなのだが,どうも研究のトレンドが「使い倒さずにみんなが使いこなせるものを作る」 という方向に向かいがちで,それがことごとく失敗している様子を見たし,使い倒して初めて見えるもの,そして直接触れないものを操作することに強い興味が持てたきっかけになったと思う.みんながすぐ使いこなす物を作るより,人間が試行錯誤の末手に入れるプロセスを知る方が面白い.今後自分が研究で生き残るためのモチベーションを手に入れられたと思っている.音楽とのつながりが薄い立場ではあるのだが,この魂は受け継いでいきたいと思う.
ストイックなイメージを持つ人が引いてしまう,ゆるい雰囲気のMC,本番中なのに失敗してやり直すギター演奏も忘れられない.50,60を過ぎても,不器用な挑戦を続けるような人だと思えてならない.ミュージシャンとしても,ギタリストとしても,ヴォーカリストとしても,即興漫談師としてもこれからの人というイメージである.こう書くとふざけているように思うが,いつまでも崇高なイメージを引きずるとその後の活動がそれに縛られてしまいそうでいけないのだ.ビートたけしも坂本龍一も,いい歳していてもバカなことができるからこそ真面目な仕事に重みが出てくるのだと思っている.
音楽はいつまでも自分の手元で生き続ける.音楽はいつまでも人生に思い出と発想を与えてくれる.rei harakami.何もかも,これからです.
「誰やねん、こいつら」っていう顔で迎えられている時のあのゾクゾク感が、もう大好きやったんですよ。で、だんだん変わってくるんですよ、客が。「何やこいつら、まったく知らんけどおもろいやんけ」って、だんだん客の表情、顔つきが変わってくるあのゾクゾク感がもう大好きやったんですよ。
先日の『プロフェッショナル』の松本人志の回をようやく観た(この日は海外出張先の移動中で,コペンハーゲンにいた)が,この言葉は熱かった.研究者として生き残るため,どんなアウェイな立場に立たされていても,人の表情が変わるまで必死になろう.
11ヶ月のご無沙汰である.『ロボットという思想:脳と知能の謎に挑む』と『ロボットは涙を流すか:映画と現実の狭間』*1を読んだ.
人工物による「知の創造」に関しては、多くの批判もあります。「生物と人工物は異なるので、人間のような知能を持つ人工物はできるわけがない」「機械の知能は生物の知能を見本とするべきではない」といった声があるのも事実です。
特に後者の引き合いに出されるのが、冒頭のジャンボジェット機の飛行と鳥の飛翔の比較です。「飛翔の工学的実現であるジェット機は鳥の形態と非常に異なり、そのことが飛行機としての最適な設計となった。羽のはばたきを真似しても失敗するだけである。同様に、人工の知能を実現しようとするときに、生物を真似るのでは、同じ間違いを繰り返すことになる」という批判があります。しかし、本当にそうなのでしょうか。
そして,実際の飛行機は表層的にみれば鳥のはばたきのような機構は備えていないが,翼の構造や操作の機構といった本質的な点は鳥の飛翔と同じであるから,生物の模倣による知能も,見かけの模倣ではなく本質を見極めて余計な要素を削ぎ落としながら構築することが重要(参考文献)としている.
そうなると問題はどこで余計な要素を削ぎ落とす方向にシフトするか,そしてどの要素を残すかの方略が大事になってくる.もっと言ってしまえば,そもそも生物の積極的な模倣という作業を続けることさえ疑問に思える場面もあるだろう.応用先が見えてしまえば新幹線のパンタグラフの風切り羽根のように,ヒントを得てしまえば積極的に模倣して削ぎ落とすという作業をしなくても済むかも知れない(いや,風切り羽根も本当はこのプロセスを経ているかも知れないが,可能性としての話である).結局,どのようなアプローチをとるにせよ,着眼点のよさの問題にならないだろうか.
また,人間と協調するタスクを目指す場合は,人間の作業との相互適応や共進化のような形でロボットの機能が洗練される可能性もある.ロボットだけに目を向けず,環境との相互作用に着目する方向でも注目すると思わぬヒントが得られるかも知れない.
わたしはある自動車電子機器メーカーを訪問し、見学コースで自動化の最先端技術のデモを紹介してもらったことがあります。固定化したパターンの仕事をする産業ロボットではなく、一台のロボットが故障しても、まわりの別のロボットがそれを助け合うという知的なシステムでした。このシステムは、学会賞まで受賞するなど高い評価を受けました。しかし、実際には使われていません。なぜかというと、一台のロボットが壊れたらまわりのロボットが協調してそれを助け合うというシステムを成り立たせるには、かなり複雑なプログラムが必要で、そもそもの故障率が高くなってしまっていたのです。結局、人がどこかで監視しなければいけないというので、使われていないということでした。
ということは,人型ロボットが協調作業という未来像は夢のまた夢の話に思えてくる.そもそも故障などにロバストな人型ロボット1体をつくるのさえ困難なのが現状なのではないだろうか.
やや横道にそれるが,
世界で初めて、科学と工学を一つの頭脳のなかで開花させたのは、紛れもなくダ・ヴィンチだ。
ダ・ヴィンチの活躍した15–16世紀には,そもそも科学も工学も独立した概念として存在していないはず.狭義のscienceが自然科学を指す意味で使われるようになったのは19世紀中頃だし,今日でいう自然科学の応用という位置づけの工学が成り立ったのは18世紀頃である.そもそもこのような表現をしなくても,「深く鋭い洞察を人工物の設計に反映させた」とすればよかったのではないだろうか.
ほかにも 日本のからくり人形はロボットの先駆け
という記述があるが,たまたま現代から遡れるロボットらしきものの原形がからくり人形に過ぎないわけで,ほかにも当時類似のものが存在していたが淘汰されてしまったかも知れないし,当時のからくり人形の社会的な位置づけと現代のヒューマノイドロボットの社会的な位置づけは当然異なるはず.こうした考察を科学史・技術史的観点からも丁寧に深めることは,将来ロボットが社会に受容されるための手がかりになるのではと考えている.歴史にせよ文化にせよ,素朴な考察は避けた方が得るものが大きいと信じている.
おそらく日常から少し深いところへ掘り下げた何らかの考えが種になって、そこへSF作家のような人々の想像力が出逢ってブーストされ、それを研究者が見て、こうすれば実現できるかもしれないといった着想を得る――そういったことが起こっているのだと思う。
現実はすでにSFを追い越してしまっているのではないだろうか.映画の世界にしても,たとえば『マイノリティ・レポート』に出てくるインタフェースのデザインにMITの研究者が駆り出されることのように,研究の先端を参考にSFがつくられるという流れができているように思える.さらに,技術の実用化のヒントが生み出されるのはSFからだけではない.むしろ現実を考えると,先端技術に興味のあるエンドユーザがヒントを見いだすことも多いように思う.
余談だがこの記述の直後に人間と対話的にタスクを遂行する人工物をロボットと呼ぶなら,ケータイもロボットだろうという話が出てくるが,そんな素朴な話をするならMedia Equationの話をして欲しかった.ケータイほど作り込まれたモノ相手でなくても,自動的に動作するモノを自覚なしに,あたかも人間と接するかのように人は扱ってしまう.そしてそれは技術の精通度合を問わないから,機械に強い人間であっても同様の行動を自覚なしに行っている場面だってある.そのような関係をうまくデザインすることを目標とするのか,またその関係が破綻した場合のユーザの行動についてどう考えるか,そういったことを考えることが今後の研究や商品開発のヒントになるはずだ.
私が驚いたのは,映画の中で,何気なく誰かが主人公のブルース・ウィリスに「サロゲートに似てきたね」と言うシーンである.もはやその人のアイデンティティを決定するのは,本人ではなく,サロゲートに移っていることを示す決定的なシーンだ.
そして何より私が驚いたのは(中略)「いやあ先生,最近,ますますジェミノイドに似てきましたね」
アイデンティティが移るという表現は大袈裟ではないかと引っかかる.「本人と瓜二つの人工物が目の前に現れる」という新奇性の影響があったり,ジェミノイドをみるうちに無自覚に自分がジェミノイドを模倣している場面が出てきている可能性もあったりするかも知れない.本当にアイデンティティが移っていたら,ジェミノイドの方に本来本人に頼むべき仕事をどんどん頼むような事態が出てこないかと思う.映画の中なら出てきてもおかしくないのだが(実はまだ『サロゲート』を観ていないので……),タスクにもよるかも知れないが現実にそこまで起こるようには思えない.まあ,自分のジェミノイドがつくられた人間でなければわからないこともあるのかも知れないが.
*1 Amazon.co.jpのレビューで石黒先生が直接的に役に立たない研究を楽しんでいてうらやましい,という記述があるが,いくら石黒先生でもそんな内容でグラントを書いても研究予算はとれないだろう.本心はどうあれ,少なくとも「ショッピングモールなどの道案内用のロボットを開発し,案内要員の人件費をカットする」などということは書くと思う.どの研究者にとっても置かれた環境はシビアだ.
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