FlowerLoungeさんの興味深い考察に反応.
まず,
主に個人サイトが公開している、大多数にとってあまり有用でない情報が多すぎて、ウェブの利用者が有用な情報に到達するのが困難になってきているのだ。
膨大な量の情報の取り扱いに、情報の受け手が困惑するのであれば、送り手側での規制ではなく、受け手側でなんらかの制御を行うべきだ。
この問題意識が今回の議論の大前提である.これらについては私もほぼ同意である(ただ情報の制御を行うのは情報の受け手ではなく,まず第一にインタフェースの設計者であるべきだと思うが).しかし,私はこの原因と問題解決については違う見方をしている.情報の送り手が意識的であれ無意識的であれ妨げられている意思表明を促す方法の模索こそが必要なのではないか,というのが私の基本的な考えである.すべてではないにせよ,妨げられた意思表明にこそ有用な情報が存在するという見方をしているわけだ.
まず,Simonの認知能力の限界(もっとそれらしい用語を使うとbounded rationality,限定された合理性,限定合理性という訳語がある)をもとにWebブラウジングのナビゲーションの問題をとりあげている.これはSimonの理論に頼らずともユーザビリティの問題の楽観視ということでたびたび批判されていることでもある(以前にも書いた).Simonの認知能力の限界についてはまた後ほど.
いずれにせよ,Webからもペーパーメディアなどからもそれなりにバランスよく情報収集するに越したことはない.しかし,フィルタリングの問題の元記事にまず言及すると,なぜ 現状では「視野を広げる」という事では、雑誌・新聞等のペーバメディアの方がBlogやWebコンテンツよりも優れている部分が多い
のかについて決定的な根拠が示されていない.むしろペーパーメディアを動かしている新聞社や大手出版社の体質から考えると,情報が均質化しているのはむしろペーパーメディアではないかとさえ思う(これも以前書いた).元記事の元記事がおそらくアメリカの事情についてのものなので,メディアの形式の文化差は考慮した方がよいだろう.また,私個人の感覚からすれば,アンテナやRSSリーダはむしろ多様な情報の収集に一役買っている印象の方が強い.私は「興味はあるがなかなか勉強の機会がない」というページに対してもアンテナを張ることがあるので.要は使い方次第であろう.下手に他者とのインタラクションのチャネルを広げない限りは集団極性化の心配はそれほどしなくてよいと思う.しかし,どうやらこの手の研究ではSNSとの連係を強め,情報共有における他者とのインタラクションを強めようとしていそうなところが気がかりではある.
さて,私の話をここで引用されているが,ここで注意されたいのは私はひとりひとりが独自のコンテンツを配信することを意識するように,という努力目標を掲げたつもりではないということ.これを メンタルな解決法
に括られたのは個人的には不本意だが,私の書き方がまずかったし具体的なシステムの提案をしたわけでもなかったのでやむを得ないであろう.もちろん,先述のSimonの理論に照らし合わせれば皆が皆理性的に振る舞うことは現実的に考えられないが,あくまでインタフェースの問題として個々人が自発的に独自のコンテンツを配信するように促す方法を模索すべきではないかということが意図としてあるので,そこは改めて強調しておく.私としてはむしろ,個々人の自発的な独自のコンテンツ配信を促すことがむしろ あらゆる方向への言説の振り幅、余白を残しておくこと
につながるのではないか,ということである.別に強制するつもりはない.あくまで「できれば,お願い」という程度のものであるし,そこで態度を変える情報の送り手がそれなりに増えて,かつ燃え尽きない程度に独自のコンテンツ配信を行えれば少しは事態が好転するのではと期待している.これこそHCIにおける当面のチャレンジングな試みのひとつだと個人的には思っている.
情報の受け手によるエントリの評価についてであるが,受け手がフィードバックを送ることはそれなりに面倒であるということ,そしてここでもまた集団極性化の問題がついて回る可能性があることには注意が必要だろう.前者はひとまず入力を極力簡単なものにし,かつ評価作業のメリットをはっきりさせることがひとつの策,後者は人数の力で評価が動かないようなものにすることが必要といえる.
いずれにせよ,むしろ個人が好き勝手なことを言えることを保証することが個人のWebでの情報発信では必要なのではないのか.ただでさえほかのメディアでは個人の「生の声」はほかの人々に届きにくいのであるから.
たださんのRSSについての話を読んで,前から書かねばと思った話を蒸し返すことにした.
RSSリーダのようにコンテンツだけがデータとして情報の受け手にやってくると何がうれしいかといえば,ナビゲーションについて受け手の手元でコントロールがきくという点がひとつ挙げられると思う.このようなコンテンツ配信が普及すれば以前からの「HTML上でのメニューの位置」などというものは不毛な議論になる.link タグでもってサイトナビゲーションで対応するというのがHTML本来の流儀ではあるのだが,どれだけのブラウザが対応しているかと考えると不安なので,差し当たりナビゲーションのためのHTMLをラッパーとしてどこにメニューを配置した方がよいのか,という議論であったといままでの話を位置づけたいが駄目でしょうか? いずれにせよ,上の意味で不毛な議論というのは一理ある意見だと考えています.単に「左でも右でもどっちでもいいんじゃん?」という意見では何も考えたことにならないので.
そういうわけでRSSでコンテンツ配信+XSLTでデザインの調整という形式で情報が流れる時代が来るかも知れないが,ナビゲーションはユーザ主導にできるようにして欲しいと思う.
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