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2007-02-18 (Sun) [長年日記]

_ インタフェース研究者に不足しがちな視点

遅ればせながら「プロフェッショナル」の石井裕先生の回を見る.インタフェースの研究者の端くれとして,行間ならぬ「コマ間」の読み取りを頑張ってみたいものだ,ということで以下まとめ.

考えを深めるための外化と他人に説明するための外化

MITの石井先生の研究室のミーティングは,議論の経緯をすべて残すべく模造紙とペンを用いており,プロジェクタもPCも用いていなかった.自分の頭と身体のみが頼り,というわけだ.なかなか厳しいのだが,こういう議論を続けてこそアイデアは洗練されるものだと思う.私はさすがに研究室のミーティングで何の資料もなく研究構想を話しても,議論をまとめるのが現実問題として難しいのでプロジェクタのお世話になるのだが,自分用の普段の研究構想のまとめは三色ボールペンと能率手帳とA4の無地ノートさえあれば事足りる.

以前にも書いたが,プロジェクタなり動く実物なりをいきなり持ち出してアイデアを語られるとその目新しさだけで思考停止に陥る可能性がある.私もプロジェクタにスライドを映して一気に話し切ってしまうと,議論は収束するのだが本当に大事な問題について考えることができたのかと不安に駆られる.他者に説明するための外化というのは,実は説明のためのリソースに制約がある方が議論は発散しがちではあるものの,大事な問題についても着目できると思う.特に研究構想の初期段階ではこのような議論が重要になる.そして重要なのが「なぜ?」という問いだ.これは「思考を可能な限り言語化せよ」というプロンプトにほかならない.確かにここはどれだけ深くアイデアを掘り下げられているかの指標のひとつになりうる.そういうお前はどうなんだ,という話でもあるのだが.

メモするくらいなら実行するという考え方は,自分の考えを深めるための外化としてはひとつの手段になるだろうが,前述の理由から特に研究構想の初期段階で実物を見せて他人に説明するという他人に説明するための外化の手段としては,議論の本質を見失うことにもつながりうる.以前,大変仰々しい大人向けの某システムを実装した上でエージェントの皮を被せて子供向けにしてみました,という説明をしていたインタフェースの研究が本業と思われる大学院生に某所で遭遇したのだが,その程度の発想しかできないなら「常識を疑え,他人と違うことをせよ」という言葉を思い浮かべながら最初から紙とペンで考え直せと言いたい.素朴な議論を疑いもせず丸呑みし,いきなり実装に移ってろくでもないアウトプットが出てくる例を山のように見てきた.自分の考えを深めるための外化の手段として考えるにせよ,作った自分自身が新たな表現手段に騙され,自分の仕事を過大評価してしまい本質に気づかないことも十分考えられる.自分の考えを深めるための外化にしても,いったん「紙とペン」に落とし込んだり,言語化してみたりと表現手段に制約をかけて考え直すプロセスは欠かせないように思う.

人の2倍努力する,その中身は?

人の2倍努力をして結果を出すにしても,その内容が伴わなくては単なる「仕事と休みのけじめがつけられない要領の悪い人間」である.それは私のことだが(人並みの努力もしていないか?),閑話休題.「研究で結果を出す」という大きなゴールに到達するまでのサブゴールには何があるのか.論文を批判的に読み,自分の研究戦略のどこに反映できるかについて考え抜く,他者に研究構想を伝える手段について伝わる手段を考え抜く,その手段にしてもどのような言葉遣いにすればよいか,英語ならどういう言い回しが効くのか調べ,考え抜く,スライドで話すならどうすれば下手な誤解がなく,そして相手にとって示唆に富む内容にできるか考え抜く……と思いつく内容はいくらでもある.サブゴールの候補を挙げつつ,費用対効果も考えつつ「人の2倍」の労力で実行する.もちろんこのような努力は必要条件に過ぎないが,結果を出したければやるしかない.

「屈辱感」の効用:褒められて伸びる杭になるか,叩かれながら伸びる杭になるか

石井先生が若手に向けて持つべきものとして挙げたのが「屈辱感」であった.もちろん,若手の中にも褒めて伸びる連中はそれなりにいるので,いきなりすべてにおいて「屈辱感」を持ったとしても心の折れる研究者が山のように出てくるだろう.ただ,新しいアイデアを他人に伝えるに当たって,なかなか伝わらないところからくる挫折感や「屈辱感」は,よほど他人とのコミュニケーションに長けた人間でもなければ避けられないと思う.

「屈辱感」とは違うかも知れないが,私がしっくり来るのは生まれ落ちた瞬間からアウェーなんですという感覚だ.最初はとにかく私の考えがことごとく他人に伝わらない.ひたすら本を読み,論文を読み,考え抜き,言葉にしてようやく伝わるには伝わったがそれでも今度は「新規性がない」「つまらない」という評価の洗礼を受けることとなる.この「オールアウェイ感」が私の場合は研究を進める原動力だ.

日本の学生は決してレベルは低くない

番組では研究構想の段階でつまずいていたある修士課程の学生の姿を追っていた.TV映えしない現場のやりとりが編集段階で消えている可能性や,この学生の一風変わった経歴などを差し引いても,正直なところこの学生が出していたアイデア程度であれば,日本の修士課程の学生でも十分発想できる程度のものだろう.逆に,今後の努力や環境づくり次第で日本の学生も研究の成果でも世界の舞台で勝負できるということも,この例は示唆していると思う.どこの学生であろうと,スタートラインの差はあまり意識しない方がいい.いくらでも挽回は可能なのだ.逆に他人に差をつけることができたとしても,その後の努力を怠って貯金を食いつぶすようなことは避けたいものだ.

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